華原朋美 Kahara Tomomi

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華原朋美Kahara Tomomi

地区: Japan 日本
档案:
小档案
華原 朋美(かはら ともみ、本名:下河原 朋美(しもがわら ともみ)、1974年8月17日 - )は、日本の女性歌手、タレント、ミュージカル女優。東京都江東区出身および在住、千葉県浦安市育ち。血液型はA型。獅子座。愛称は「朋ちゃん」。
代表曲に「I'm proud」「I BELIEVE」「Hate tell a lie」など。かつてのプロデューサー・小室哲哉に「愛を歌うことが出来る人」と称された。
現在、芸能活動は休業中。
大事件
1995: グラビアアイドル時代
東京都江東区亀戸で生まれ、千葉県浦安市で育つ。松蔭中学校・高校を卒業。身長156.7cm(公称160cm)。体重44kg。スリーサイズB86・W58・H84。
3歳頃、「あれに乗りたい!」の一言で始めた趣味の乗馬は、高校3年生の時に国体で第4位という成績を修めた。将棋の級(日本将棋連盟ジュニアクラス1級・一般クラス3級)も持っており、NHK衛星第2テレビの将棋特番で司会も務めた。また幼少の頃は病弱で、5歳頃に突発性血管性紫斑病に罹り、3ヶ月間クリーンルームに入院していたこともある。
かつては、遠峯ありさや三浦彩香などの芸名で、グラビアアイドルタレントとして活動。『さんまのナンでもダービー』(テレビ朝日系)などでアシスタントを務めた。遠峯時代に小室哲哉に見出される。小室との出会いは、華原(遠峯)に興味を持っていた小室が、当時青山にあった小室の店「TJM」に華原を呼んだことがきっかけである(引き合わせたのは、フジテレビのきくち伸であった)。そして、2人は親交を深め、恋愛関係に発展した。また華原は女優志望だったが、交際中、偶然カラオケでtrfの曲を歌い、それを聴いた小室が「涙腺を刺激する歌声」と称し、歌手デビューが決定(華原が初めて買ったレコードが中山美穂の「50/50」で、奇遇にも小室作曲の作品であった)。また、デビュー直前に2人の関係をすっぱ抜いた週刊誌の記者に対し、小室は「アーティストに手をつけたのではない、恋人に曲を書いてデビューさせただけだ」と語っている。
1995-: 小室哲哉プロデュース時代
1995年6月、小室のイニシャルと同じT. Kで、なおかつ本名に近い華原朋美に改名。8月には小室が音楽を担当したイメージビデオ『PARADOX』を発売し、フジテレビビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤー'95に選出。そして9月、パイオニアLDC内の小室が立ち上げた新レーベル・ORUMOK RECORDSより、シングル「keep yourself alive」で歌手デビュー。オリコン・シングルチャート最高8位を記録した。翌10月には、2枚目のシングル「I BELIEVE」を発売。オリコンチャート最高4位を記録。同曲で新人賞を総なめにした。
1996年、3月に3枚目のシングル「I'm proud」を発売。同3月25日付で「I BELIEVE」がミリオンセラーを達成し、新人としては異例の快挙となる。「I'm proud」も続いてミリオンセラーとなり、同曲で年間シングルチャート女性ソロアーティスト最高位の8位、年間カラオケリクエスト首位を獲得するなど、一躍トップアーティストの仲間入りを果たす。6月にはファーストアルバム『LOVE BRACE』を発売し、初のオリコン首位を獲得。ファーストアルバムの歴代最高初動売上を記録した(後に宇多田ヒカル、倉木麻衣が更新)。同月、新高輪プリンスホテルで“華原朋美ヒット記念パーティー”を開催。小室やdosらがお祝いに駆けつけ、業界・報道関係者1,000人が出席した。10月には5枚目のシングル「save your dream」を発売し、シングルでは初の首位を獲得。大晦日には『第47回NHK紅白歌合戦』に初出場し、小室のピアノ演奏による特別アレンジで「I'm proud」を歌唱した。
1997年4月、化粧品のイメージキャラクターに初起用され、カネボウ化粧品「Bronzelove(ブロンズラヴ)」のCMソング「Hate tell a lie」を発売。3週連続首位を獲得し、シングル3作目のミリオンセラーを記録した。6月からはフジテレビ『TK MUSIC CLAMP』3代目のパーソナリティを担当。7月には「LOVE IS ALL MUSIC」、10月には小室との共作詞による「たのしく たのしく やさしくね」、12月には2枚目のアルバム『storytelling』を発売と、この年発売したCDはいずれも首位を獲得した。また同12月、香港で開催された『TK GROOVE MUSEUM』に出演し、globe「DEPARTURES」のカバーを披露。2年連続出場した『第48回NHK紅白歌合戦』では第2部トップバッターで登場し、小室がギターで飛び入り参加して「Hate tell a lie」を歌唱した。
1998年2月、自身出演のJT「桃の天然水」のCMオンエアがスタートする。6月にはレコード会社をワーナーミュージック・ジャパンに移籍し、11枚目のシングル「tumblin' dice」を発売。7月にはフジテレビ月9ドラマ『ボーイハント』でドラマ初出演。同月、初のドラマ主題歌となった「here we are」を発売。11月には3枚目のアルバム『nine cubes』を発売したが、同年12月に小室と破局を迎える。破局後に、3年連続出場となる『第49回NHK紅白歌合戦』では、小室プロデュース最後のシングル曲「daily news」を歌唱した(小室のバック演奏はなし)。
当時は、雑誌『JUNON』で“なりたい顔1位”にも選ばれるなど、そのハイトーンヴォイスやブランドスーツ・ワンピースを着こなすファッションから、同性から支持された。安室奈美恵の“アムラー”に対して、華原は“カハラー”と呼ばれ、“平成のシンデレラ”とも呼称された。ハローキティ再流行のきっかけ(当時、サンリオ社長も華原朋美効果を認めた)や、牛丼の「つゆだく」、“ヒューヒュー”でお馴染みの「桃の天然水」が年間1,600万ケースを売り上げる商品となるなど、ブームリーダーにもなった。
1999-: ガス事故騒動、番組企画で渡米
1999年、年明け早々に小室の個人事務所・TK state(tetsuya komuro rise)を離脱し小室と決別したが、同1月30日、自宅で料理中にガス中毒で倒れ緊急入院。この時、初めて小室との破局が報じられる。翌2月、休養中に初のベストアルバム『KAHALA COMPILATION』を発売し、首位を獲得。5月、芸能事務所をプロダクション尾木に移籍し、復帰会見を行うが同月、自宅マンションのロビーで貧血で倒れ再入院。翌6月17日、御殿場の乗馬クラブ・アルカディアで不完全なまま2度目の復帰会見を行った。7月には初のファンクラブ『Pretty Eye』を発足し、復帰シングル「as A person」を発売(オリコン6位)。全国4都市でPRイベントを開催し、『ミュージックステーション』を皮切りに8ヶ月ぶりにTV復帰した。11月には全曲自身作詞によるアルバム『One Fine Day』を発売し、オリコン初登場7位を記録。初のファンイベントも開催した。しかし、翌2000年に再び無期限休養に入り、カナダへ留学する。
同2000年1月、休養中に初のフォト&エッセイ集『未来を信じて』を発表(売上15万部)。7月、カナダから一時帰国中に日本テレビ「進ぬ!電波少年」から全米デビュー企画のオファーを受け出演。翌8月から『進ぬ!電波少年 〜華原朋美の電波少年的全米デビューへの道〜』のオンエアがスタート。洗車場でのアルバイト、自炊生活、クラブでのステージ、ヴォイスレッスンなど経験を積み、翌2001年1月、セリーヌ・ディオンやダイアナ・キングなどを手がけるアンディ・マーベル(Andy Marvel)プロデュースのオーディションに合格し、全米デビューへの切符を掴む(アンディのコンピレーションアルバムに華原歌唱の「NEVER SAY NEVER」が収録されたが、CDは未発売)。翌2月、約8ヶ月ぶりに日本へ帰国し、SHIBUYA-AXで凱旋ライブを開催。完全復活を果たす。
2001-: 凱旋帰国、本業以外の活動開始
凱旋帰国後の2001年、4月に復帰シングル「Never Say Never」を発売し、オリコン初登場10位を記録。出荷15万枚のスマッシュヒットとなる。7月にはフォト&エッセイ集第2弾『苦あり楽あり 〜未来を信じて Part2〜』を発売し、初の握手会を開催した。8月にはイン・シンクなどを手がけるヴィンセント・ディジョルジオ(Vincent Degiorgio)プロデュースによる「PRECIOUS」を発売し、デビュー7年目にして初の単独ツアー『TOMOMI KAHALA FIRST LIVE 2001 〜待っててくれてアリガトウ〜』を全国6箇所のライブハウスで開催した。10月からはレギュラーラジオ番組の文化放送『華原朋美のLIPS PARTY 21.jp』がスタート(同年末まで)。11月には5枚目のアルバム『Love Again』を発売し、“DJ Tomo”名義で発売記念DJイベントを開催。12月には雑誌『プチセブン』で連載されていた自身脚本の漫画『SHOWIZ』を発売。この年から本格的にバラエティ番組へも出演し始める。
2002年、NHK総合テレビの公開収録番組『にっぽん愉快家族』でコロッケと司会を担当し、4月に番組がスタート。同月、自身出演のポッカ缶コーヒーCMソング「あきらめましょう」を発売。7月にはワーナー時代のベストアルバム『Natural Breeze 〜KAHALA BEST 1998-2002〜』を発売し、翌8月からホールツアー『Tomomi Kahala Concert Tour 2002 "Natural Breeze"』を開催(11月の追加公演まで13箇所)。4年ぶり4度目の返り咲き出場を果たした『第53回NHK紅白歌合戦』ではZONEがバックバンドで参加し、「あきらめましょう」を歌唱した。
2003年、『クレヨンしんちゃん』原作者の臼井儀人と華原がお互いファンであることから、テレビアニメ「クレヨンしんちゃん」のオープニングテーマを担当することになり、2月に「PLEASURE」を発売。4月にはNHK教育テレビのドラマ愛の詩『パパ・トールド・ミー 〜大切な君へ〜』で5年ぶりにドラマ復帰し、『にっぽん愉快家族』と並行して収録を行う多忙な日々を送る。同4月、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード』(映画シリーズ第11弾)で自身モチーフのアイドル歌手・トモちゃん役で声優に初挑戦し、試写会に出席。10月には『にっぽん愉快家族』で共演するコロッケからのラブコールで誕生した朋ちゃん&コロッケとしてデュエット・シングル「ありがとね!」を発売。12月には自身初のディナーショーを開催し、2年連続5度目の出場となった『第54回NHK紅白歌合戦』では東京クリニック(院長伊澤純)での治療の甲斐もあり「不眠症が治った」とアッコに告白、“華原朋美 with コロッケ”として「ありがとね!」を歌唱した。
2004年、3月からドラマ出演が続き、9月には時代劇『水戸黄門』の第33部最終回2時間スペシャルにSAYAKA、MEGUMIと助っ人出演。凄腕の娘剣士役で殺陣に初挑戦し、得意の馬術も披露した。本業では2月にクアラルンプールで開催された『J-ASEAN POPS』に出演し、「I BELIEVE」を歌唱。5月からは3度目のコンサートツアーを開催。8月にはレコード会社をユニバーサルシグマに移籍し、自身のローマ字表記を“Kahara”に変え、30歳の誕生日を迎えた。翌9月、K-POPバラード「君さえいれば」を日本語詞でカバーした「あなたがいれば」を発売。オリコン16週連続ロングチャートインを記録し、ダウンロードを含めると10万枚のヒット作となった。11月にはフジテレビ『僕らの音楽』に出演し、原曲者であるカン・ヒョンミンとのデュエットが実現。同曲で『第46回日本レコード大賞』金賞を受賞、8年ぶりにレコード大賞のステージにカムバックを果たした。
2005-: デビュー10周年、ミュージカルデビュー
デビュー10周年を迎えた2005年、日清食品「日清焼きそば」、コーセー「清肌晶」と2本のCMに出演。5月に過去の失恋を歌った「涙の続き」を発売し、6月に10周年記念となる6枚目のアルバム『NAKED』を発売。ジャケットでタイトル通りの背中を大胆に見せたセミヌードを披露した。同作を引っさげて、10周年記念コンサート『10th Anniversary Celebration 華原朋美 Concert 2005』を開催(翌年2月まで15箇所)。8月には『赤毛のアン』主人公アン役でミュージカルデビュー。9月からはフジテレビ『新堂本兄弟』に深田恭子らとレギュラー出演。12月には初の写真集『Crystallize』を発売し、大胆なセミヌードを披露した(売上5万部以上)。同じく2005年、パチンコ機『CR華原朋美とみなしごハッチ』(フィールズ)でキャラクターものとしてパチンコ機化。
2006年2月、「桃の天然水」の発売10周年を記念した復刻版のイメージキャラクターに8年ぶりに再起用され、対比CMのオンエアがスタート。同月、イメージソングを収録した初の両A面シングル「華/Keep On Running」を発売。7月には中島みゆきの書き下ろしによる「あのさよならにさよならを」を発売。以前から憧れていた中島作品を歌いたいとの華原の熱望に、中島も快諾して楽曲提供が実現した。8月には2年連続でミュージカル『赤毛のアン』に主演(翌年は療養のため降板)。12月には松任谷由実の楽曲のみで構成された異例の“ユーミン”ソング・ミュージカル『ガールフレンズ』に主演。公演中に急性気管支炎と急性声帯炎を併発し一部を休演する事態となるも復帰し、映像化されたDVDでは復帰した回の模様が収録された。またこの年だけで3本の舞台に出演し、ミュージカル女優としての活動を本格化させていた。
2007-: 所属事務所との専属契約解除
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2007年年明けから4月いっぱいまで自宅療養し、3度目の休養に入る。5月、伊勢神宮神事の御木曳にゲスト出演し仕事再開、翌6月から本格復帰していたが、同6月29日、所属事務所のプロダクション尾木が6月28日付で専属契約の解除を発表。事務所側は「突然の仕事キャンセル等が続き予想以上に心身ともに健康の回復状況が思わしくなく、これ以上華原の芸能活動を支えることが不可能」と判断[1]。公式ファンクラブも6月29日付で解散し、事務所の意向を受け所属レコード会社のユニバーサルミュージックとの契約も28日付で終了した。3ヶ月後の同9月20日にはファン向けに自身のブログを開設し、その中で仕事キャンセルについて謝罪の文を掲載。理由について、自身の健康管理が悪く精神的にもダウンしたこと、さらに尾骨を骨折していたことも告白。また報道されているような睡眠薬などへの依存症を否定し、今は完全に完治し健康である事を綴っていた。[2]。しかし、マスコミで報道直後の同29日にわずか9日間でブログは突然閉鎖された。
翌2008年7月10日、東京ミッドタウンで開かれたパーティに出席、「年内には復帰したい」と語ったものの、まだ具体的な復帰時期については未定のままである。
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